仕事も子育ても諦めない創業で自分らしくハッピーに
株式会社フロントステージ 代表取締役

千田 絵美さん

  • PROFILE
  • 1980年生まれ。山口県出身。「学校の先生になりたい」という幼い頃からの夢をかなえるために広島修道大学へ進学。卒業後は臨時採用で教職に就くものの、「自分は向いていない」と悟り、全く異なる広告業界の営業職へ転職。2年間、KG情報広島支社で営業の日々を過ごす。その後、「広報・PR」の分野を極めるために、25歳で東京へ進出。ITベンチャー企業「出前館」、大手化粧品メーカー「ドクターシーラボ」、スタートアップ企業「STORES」の広報・PR担当として経験を積む。結婚・出産を経て、2016年に広報・PRエージェンシーの株式会社フロントステージを設立。

SNSが普及し、個人の発信力が高まった今、各企業の広報・PRの在り方も大きく変わりつつある。そんな中、いち早く広報・PRの新たな可能性を見いだし、株式会社フロントステージを設立するに至った千田さん。現在6期目を迎える同社は口コミや紹介でクライアントを増やし、創業まもない企業であるにもかかわらず、一部上場企業、航空会社、米ナスダック上場企業の日本支社など、そうそうたる顔ぶれが名を連ねる。一方、プライベートでは2010年の出産を機に、ママを応援する「パワーママプロジェクト」を主催。働くママのロールモデルをシェアする活動を展開している。

ひろしまの創業のポイント創業のポイント

目標設定型 or Not目標設定型? 目標実現は自分に合うやり方で。

既存の市場にもチャンスはある。変化を見逃さず、チャレンジを。

多忙な創業者にも役立つ、時短&コミュニケーション術。

目標の実現方法は人それぞれ
大切なのはチャレンジする勇気

Q. 創業に向けての転機となったのは、やはり東京に拠点を移された頃ですか?

千田:そうですね。25歳の時、100万円の貯金を握りしめて、単身東京へやって来ました。全く何の当てもない状況です。組織の管理職として現在も活躍する母の背中を見てきたからでしょうか。私は幼い頃から、女性が自分らしく、ずっと続けられる仕事を探し求めていた気がします。当初、教師を目指したのもそうした理由からです。教員免許が取れる大学に進学し、いったんは教師の道に進んだのですが、実際に現場を体験してすぐに、自分は教師に向いていないことを悟りました(笑)。そこから、教師とは真逆の世界、広告業界に飛び込むわけですが、ここで「広報・PR」の仕事と出会いました。
しかし「広報・PR」の最先端といえば、やはり東京です。スペシャリストを目指して業務を極めるには、東京に拠点を置き、それなりの企業で業務を経験する必要があると考えました。そこで、2年間勤めた会社を退職し、上京することを決めました。ちなみに大学時代から付き合っていた彼氏を置いて上京したのですが、彼も2年後には転職して東京へ来てくれました。

Q. 目的に忠実に行動され、確実に実現されているのですね。

千田:私は掲げた目標から今の自分に何が必要かを逆算する「目標設定型」の人間なのだと思います。だから、まず「自分が何をニンジンにしたらがんばれるのか」知るよう心掛けました。
私の場合、ニンジンは「なりたい自分を具体的に目標設定する」ことでした。人によってはそれが「人に喜んでもらえること」だったり、「仕事を通して成長すること」だったり、さまざまだと思います。具体的なニンジンが定まれば、あとはそれに向けて走るのみです。私にとって目標を実現することは、ラスボスを倒すために次々とステージを攻略するゲームのような楽しさがありました。そこではステージを上げていくために、逆算して「必要となる武器」を意識しながら、キャリアを積んでいかなくてはいけません。ゲームでいうと、ボスを倒すために必要なスターやハンマーといったアイテムです。私の場合、目標としていたステージは「独立」でしたので、独立するために必要な武器を、25歳〜35歳までの間に一つずつ身に付けていきました。その期間に在籍した「出前館」や「ドクターシーラボ」「STORES」といった企業では、広報の基本から始まって、大手企業での広報の在り方、あるいは経営トップの考え方などに触れて、自分の糧にできたと感じています。

Q. 「目標設定タイプ」でないと、創業は難しいのでしょうか?

千田:いえいえ、決してそんなことはありません。目標を持つのが苦しいなら、私は持たなくてもOKだと思っています。そういう方の場合、自分が何に興味を持っているのか、何を優先したいのかを考えながら、舵を切っていけばよいと思います。
「目標設定タイプ」に対して、あえて目標を決めるのがつらい「Not目標設定タイプ」の方たちは、その都度一生懸命に打ち込んでいれば、その時の経験が後々必ず生かされてくるはずです。心配しなくても結果的に自分の歩んだ道が創業につながっていくのが、このタイプです。大切なのは自分らしく努力して、夢を実現させていくこと!「Not目標設定タイプ」だからといって悲観する必要はありません。
私自身、決して順風満帆な人生ではありませんでしたが、「これがやりたい!」と思ったことは、先が見えなかったり、周りに無謀だと思われたりしても、自分にチャレンジさせてあげてきました。目標を実現する方法は人それぞれですが、どちらのタイプも一歩踏み出す勇気だけは忘れないでほしいと思います。

可能性を秘めた広報・PRの市場
私たちにできることはもっとあるはず!

Q. そもそも創業を志したきっかけは何だったのでしょう?

千田:自分の会社を設立したいと思った理由は4つあります。
1つ目は、自分がお母さんになったら、時間を自分でコントロールできる仕事をしようと考えていたからです。子どもの頃、看護師をしていた母が単身赴任をしていた時期があり、寂しい思いをしていました。20歳の頃から、なんとなく時間の自由が利く仕事がしたいと考えるようになったのですが、そうなるとフリーランスか、自分で会社をつくって社長になるという発想しかありませんでした。その上で、どっちが自分に合っているかというと、社長になる方が先が見えなくて、挑戦しがいがあるなと思ったのが正直なところです(笑)。
2つ目の理由は、大手企業で10年間広報・PRをしてきて、この分野のプロフェッショナルが市場に足りていないと感じたことです。また、大手企業ではないベンチャー企業等の広報・PRをサポートできるサービスも少なく、ここに市場があるのではないかと可能性を感じました。
3つ目の理由は、私自身の性分が広報・PRの業界で有利に働くと思ったからです。自分が心から良いと感じたサービスや商品、人をもっとたくさんの人に知って欲しいという「伝達欲」のようなものが幼い頃からありました。また、もともと「人にどう見られているか」「人がどう思っているか」が気になる「気にしい」の性分。そんな自意識過剰な自分が嫌な時期もあったのですが、広報・PRの仕事は、企業やサービスが周りからどう見られているかを考える仕事です。自分の性質がたまたまこの仕事にはまったと感じています。
最後の理由は、なんでも自分で最終決定できる「自由」がとても魅力的でした。もちろん、自由な反面、メンバーの面倒を見る責任と覚悟も生じますが、そのバランスでさえ、自分の性格に合っていると直感が働きました。

Q. 大手企業も競合する分野で、広報・PRに可能性を感じたのはなぜですか?

千田:まず、広報・PRの仕事は広告と違って、企業が社会に向けて直接情報発信するものではありません。商品やサービスの価値を第三者に見いだしてもらい、第三者から情報を発信してもらうのです。いわゆる口コミですね。例えていうなら、広告が即効性の高いお薬だとすると、広報・PRはじわじわ効く漢方薬のようなものです。地味だけど日頃から適切に服用することで、自然と体質改善が図れ、商品・サービスのブランドが構築されていくのです。そして、こうした広報・PR活動をサポートしていくには、かゆいところまで手が届く、細やかなサポートが必要です。私自身、10年間大手企業の広報・PRを担当してみて、この分野の市場はまだまだ開拓できるという手応えを感じました。また、大手にできないことも、私たちならやれるという自信も芽生えました。
例えば、昨今はコロナ禍の影響により、イベント系の広報・PR活動が軒並みキャンセルになりました。代わりにWeb上での広報・PRの需要が高まり、その辺りのノウハウを持つ私たちのもとに、多くの企業様からご相談をいただきました。ピンチはチャンスといいますが、コロナ後もこの傾向はしばらく続くのではないかと見ています。

Q. 創業後、最も苦労したのはどんなことですか?

千田:人材ですね。一人でできることには限りがありますから、人を雇って業務をシェアする必要があるのですが、当初は自分の代わりになる人がいないというのが悩みでした。ようやくいい人に出会えたと思っても、しばらくしたら辞めてしまうことが続き、かなり悩みました。
それで、よくよく考えた末の解決策が、業務を属人化させないためのマニュアル作りです。なるべく具体的な表現に置き換えて伝えることが重要だと気付いたのです。「私がなぜ、このタイミングで、こうした内容で、この業務をやっているのか」という細かい業務一つ一つの目的を、それまでは言語化してメンバーに伝えきれていなかったと反省しました。実際、マニュアルを作りはじめてから、メンバーの定着率も飛躍的にアップしました。といっても、マニュアルで全てが解決するわけではありません。今後、企業として成長していくには、メンバーをどう育てていくかが課題です。今は業務に慣れてもらうことが先決ですが、いずれは会社を牽引するリーダーに育ってもらわねばなりません。そうしていくための仕組みをつくることも、創業者の務めだと思っています。

働くママはクリエイティブ!
時短術が生み出す子どもとの時間

Q. 2度目の転機となったのが出産だったそうですが。

千田:ゼロから広報を立ち上げた実績を携え、当時東証一部上場企業だったドクターシーラボの広報に転職を果たした後、1年ほどしてから結婚したのですが、まさかの妊娠が発覚しました。「これからもっとがんばるぞ!」と思った矢先の出来事です。妊娠中でも終電まで仕事をこなし、出産したら再びバリバリ働こうと考えていました。ところが実際に娘を産んで、この手で抱いてみると、価値観が180度変わりました。「仕事って、育児よりも大事なことなの?」と思うほど、ガラリとこれまでの考え方が一変したんです。
実は当時、このまま仕事を辞めようかなと思って、外部のキャリアのプロフェッショナルの方に相談したこともありました。その方は「絶対辞めないほうがいい。今のポジションには二度と戻れない。まずは半年がんばってみて、無理だと思ったら辞めればいい」と言ってくれました。その言葉で踏みとどまる決心が付き、時短勤務で職場復帰を果たしたのですが、やはり以前のようには働けず、焦りを感じることもありました。
一方で、客観的に自分やチームのことを見られるようになり、チームで協力して仕事を進めていくコツや楽しさを徐々に知っていきました。この時、私が心掛けたのは、「早め早めに仕事を終わらす」「仲間と情報を共有する」そして「他のメンバーへの感謝」と「ありがとうを伝える」ということです。それまでは一匹おおかみ的な働き方の私でしたが、チームで働く大切さを学んだことは、創業する上で大変意義深い経験だったと感じています。

Q. 働きながらの子育てにおいて、ポイントはありますか。

千田:お母さんのがんばりは、決して子どもの満足度と比例しないんですよね。子どもが幼稚園に通いはじめると毎日お弁当でしたが、私は10分でできるコスパの良いお弁当作りを実践しました。それでも子どもは「ママが作ってくれたお弁当だ」と言って喜んでくれるものです。無駄に時間をかけるのではなく、費用対効果が良い方を選ぶのがオススメです。お弁当に限らず、習い事や勉強のフォロー、絵本の読み聞かせも全部同じ。主語を子どもにせず、お母さんがリラックスして幸せでいるのが一番だと思います。
1日に1回は、「子どもと一緒にめっちゃ笑うこと」を意識しています。話す時も「学校どうだった?」と曖昧な聞き方は避けます。なぜなら、子どもはたいてい「普通」と曖昧な答えを返すからです。言葉を交わす時は「今日、給食で何を食べた? 誰とどんな話をしたの?」と、なるべく具体的に質問します。すると、自然と会話のキャッチボールが生まれ、子どもと豊かな時間を過ごせるようになります。

Q. 経営者として活躍する一方で、ママを応援する活動もされていますよね。

千田:11年前に長女を出産した時は、世間やメディアに出ている「働くママ」といえば、つらい・しんどいママ像か、芸能人ママ像がほとんどでした。もっと多様な働くロールモデルがシェアできるようになれば、より助かるママが増えるのではないかと考え、2013年にママ仲間4人と一緒に任意団体「パワーママプロジェクト」を立ち上げました。この活動は「自分らしくHappyに育児と仕事をするママを増やし、日本経済に貢献する」ことを目的としたもので、主な活動は「働くママへのインタビューとWebサイトへの掲載」「定期的なイベント開催」「年に1度のワーママ・オブ・ザ・イヤーの表彰」などです。
現在、Webサイトには300名の働くママのインタビューが掲載されており、各界で活躍する頼もしいママたちとネットワークを築くことができました。
また、こうした活動は本業にも良い影響を及ぼしています。いろんな方から、「千田さん・働くママ・ワーママプロジェクト」といったキーワードで覚えていただけけるおかげで、お客さまからママ関連のお仕事のご相談をいただくこともあります。企業である限り、社会貢献につながっていけるのはうれしいことです。今後も社会にインパクトを与えるような、付加価値の高い企業活動を展開していくことが当面の目標です。

株式会社フロントステージ


【創業】2016年9月
【所在地】東京都港区南青山1-15-9 第45興和ビル8F
【ホームページ】http://frontstage-pr.co.jp/

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