1年目よりも2年目、2年目よりも3年目と、年を追うごとに「創業して良かった」と思います。
株式会社地域ブランディング研究所 代表取締役

吉田 博詞さん

  • PROFILE
  • 1981年広島県廿日市市(旧大野町)生まれ。筑波大学第三学群社会工学類都市計画主専攻卒。株式会社リクルートでの企画営業を経て、株式会社地域活性プランニングにてフィルムコミッション等のコンサルティングを担当。2013年、31歳の時に独立して、株式会社地域ブランディング研究所を設立する。

人口減少とグローバル化が同時進行する中、地域は競争時代へと突入し、既存のモデルが通用しなくなってきている。生き残りをかけた競争においては、地域にもブランディングの手法を用いた差別化、ファンづくりが求められるようになっている。そのような現在、「まちの誇りの架け橋」をビジョンとして、吉田氏は、①地域ブランディング事業:地域の魅力の発掘発信およびファンづくり、②インバウンド事業:埋もれた魅力のプログラム化と訪日客へのマッチング、③イノベーション人材事業:まちづくり人材の育成およびマッチング、といった3事業を展開する地域ブランディング研究所を設立。次世代へと引き継ぐ“魅力あるまちの姿”を生み出し続けている。学生時代からヒッチハイクや野宿で日本全国を巡り、バックパッカーとして世界を見て、地域活性化のプロフェッショナルとなる道を模索していたという吉田氏に、創業の可能性と地域の可能性を尋ねてみた。

創業のポイントと広島の魅力

創業に際しては、商工会議所のアドバイスを活用すべき。

広島には、“稼げる地域”になる力がある。

広島は特別なまち。その魅力を再発見してほしい。

稼げる地域をつくる。
その発想の原点となったのは、
ある先輩のひと言。

Q. ビジネスを行っていく上で、どういう経緯で“地域”というキーワードにたどり着いたのですか?

吉田:学生時代から何らかの形でまちづくりに携わりたいと考え、その道の第一人者と言われる方々に、「あなたのような人生を送りたい。どんな形でもいいから、下で学びたい。」と手紙やメールを送り、弟子入りさせてもらいました。その方々のもとで、人口が減少しグローバル化が進む世界の中で、日本はどう生き残っていくのか、地域はどうあるべきかをより具体的に考えるようになり、「稼げる地域をつくる」という答えにたどり着きました。自分自身で創業することになったのも、その時の経験が大きく影響しています。


Q. 今でこそ地域に注目が集まっていますが、当時は未知の領域のビジネスだったのでは?

吉田:確かにそうですね。以前勤めていたベンチャー企業でも、「君の夢は分かるが、もうからない世界だよ。本気で地域の活性化を仕事にしたいなら、まずは営業を学びなさい」と言われました。結局、20代のほとんどを営業マンとして過ごしたのですが、その際培った営業力は事業をやっていく上での大きな自信になっています。

その会社には7年間いたのですが、3〜4人のメンバーから始まって20人くらいの規模になるまで、ずっと中心メンバーのひとりとして働かせてもらいました。今振り返ると、そこで事業構築のイロハから、どういったポイントで事業が壁にぶつかるのか、またその時の対処方法といったことを一通り勉強させてもらったのが良かったですね。ある程度、想定できて、経営者として対処できている気がします。


Q. 「もうからない世界」との指摘から、「稼げる地域」のコンセプトが生まれたのでしょうか?

吉田:そうかもしれませんね。われわれの仕事は、クライアントの課題を解決して対価をもらうわけですが、「なんとかしたい」というクライアントの強い思いがあったとしても、なかなか対価ってもらえないんですよね。しかし広告予算などを吟味してみると、費用対効果的にうまく回っていない部分が意外にあります。そういった部分に焦点を当てた提案をすることで、予算の組み替えが行われ、仕事を発注してもらえることもあります。お金をうまく回していく仕組みができれば、それが稼げる地域につながり、われわれも対価をいただけるという手応えに自信を深めています。

創業は勢いだけでは成り立たない。
想定外の「困った!」がいっぱい。

Q. 創業で「事業が壁にぶつかるポイント」は、ご自身の場合はどの辺りでしたか?

吉田:ずばり、資金繰りですね。軌道に乗るまでは、会社がつぶれるのではないかと肝を冷やす経験を何度もしました(笑)。弊社の場合、VC(ベンチャーキャピタル)からのサポートがあるわけではなく、基本的に自己資金で運営しているので、資金調達は金融機関からの借り入れのみです。
最初の頃は人件費を払って、ランニングコストを払って、通帳の残高を見たら、これだけしかないの?さあ、どうしようという状況もありました。売り上げがあっても、手形などで支払われる場合は、入金が4カ月後ということもあります。慌てて金融機関に駆け込んでも、いざ借りるとなると手続きに時間がかかるので、すぐ対処できるわけではありません。PL(損益計算書)ではやりくりできていたはずなのに、実際のキャッシュフロー(お金の流れ)でつぶれることも会社にはあるのだと、肌で実感しました。
結果的には金融機関の方に助けていただき、なんとか乗り切ることができたのですが、自分の甘さを思い知りました。事業を始める際は、売り上げの見込みや資金繰りの想定をきちんと立てているつもりでも、念には念を入れて検討しておくことが大切です。もちろん自分自身の思いや勢いだけで突っ走ってはダメです! ビジネスに対する情熱も大切ですが、冷静な見込みを立てることができて初めて、“創業”というスタートラインに立てるのだと思います。


Q. 他にはどんな壁がありましたか? また、どうやって乗り越えたのですか?

吉田:実は創業後、2本目に手掛けた仕事で赤字を出してしまいました。自分が想定していたものと、クライアントが想定したものに食い違いが生まれ、納期も人材も足りないという中で行き詰まり、八方ふさがりの状態になりました。しかし会社を立ち上げたばかりで大切な時期に、信頼を失うわけにはいかない。へたをすれば、このまま会社をクローズするといったことにだってなりかねない。ここががんばり時だと思い、踏ん張り、なんとかリカバーできましたが、すべて自分自身の甘さが招いた結果でした。勢いだけで「できる!」と思い込むのではなく、経営計画と同じように冷静な見込みを立てた上で、クライアントの思いと向き合うことがとても重要だとあらためて気付かされました。


Q. 分からないことや、困ったことがあった時、助けてくれる存在はありましたか?

吉田:自分の場合、商工会議所の存在が大きな助けとなりました。先輩起業家から「年会費1万円で済むんだから、商工会議所に入った方がいいよ」と言われ、初めてその存在を意識したのですが、それまでは「自分の人生の中で、商工会議所に関わることがあるのか?」と思うくらい縁遠い存在でした。ところが実際に相談してみると、あなたの会社くらいの事業規模なら、まずはこの制度を使って次にこれを使うといいよといった具合に、すごく丁寧にアドバイスをいただけました。そのおかげで、台東区と東京都の制度、さらに商工会議所や政策金融公庫等の制度をうまくハイブリッドして利用することができています。
また金融機関から借り入れする際も、簡単にポンと貸してくれるわけではありません。最低限こういった準備が必要だというハウツー的なことも教えてもらえました。実際、何も知らずに行った時は借りることができませんでしたが、商工会議所の後ろ盾を得てからは、スムーズに借り入れすることができました。事業計画書なども、専門の相談員の方が見てくださったのでとても助かりました。
あと事業をされる際は、金融機関は1行だけでなく複数とお付き合いしておいた方がいいですね。金融機関はそれぞれに審査基準がありますし、担当者と話して感触が良かったから大丈夫だと思っていても、借り入れできなかったこともあります。そういったことも、創業して初めて知ったことでした。

共感を得るため、とことん腹を割って話す。
創業時の人材確保の基本でした。

Q. ところで創業当初は、少し変わった方法で人材を確保されたそうですね。

吉田:かなりこってりした採用を行いました(笑)。面接だけでは到底腹を割って話せないと思い、廿日市(旧大野町)の実家に連れていって地元の海・山の幸の料理をふるまったり、海外の出張に同行してもらって、世界の動向を実際に見てもらうなどしてもらいました。時には一緒に銭湯に入って、3〜4時間語り合うなんてこともありました。今はさすがに、それだけのパワーを採用に割くことはできませんが、創業当時は初期のベースをつくるメンバーですので、自分の夢であり、ビジョンであり、生きざまでありを、どう共感してもらうかといったことにとても力を注ぎました。


Q. 新卒採用のエントリー数が並外れていると聞きましたが、共感を得る秘訣があるのですか?

吉田:新卒採用もさることながら、インターン志望者も含めて、ありがたいことに若い力が弊社に続々と集まっています。採用の秘訣というほどのものはありませんが、今は「地域」というキーワードそのものが、若者にとって魅力的なのだと思います。特に東日本大震災以降、復興ボランティアなどの経験や地方創生という社会の流れもあり、地域社会の担い手になりたいという若者たちが増えている気がします。
さらに、2016年に日本を訪れたインバウンドは2,400万人にも達しました。政府は2020年までに4,000万人とすることを目標にしています。ほんの数年でここまで成長するマーケットが目の前にあるわけですから、われわれのビジネスに可能性を感じている学生が多いのかもしれませんね。


Q. 地域に魅力を感じる若者が多いということは、広島県の活性化や創業にもつながりそうですね。

吉田:もちろんです。私自身、18年間宮島の鳥居が見える対岸の大野町で育ちましたが、故郷を離れるまで宮島の素晴らしさに気付いていませんでした。でもこの仕事をするようになって、いろんなまちを訪れる中で、そしてJNTO(日本政府観光局)が日本のプロモーションに宮島の鳥居の画像を使っているのを見ると、「宮島ってすごいんだな」と再発見することができました。
何もないと思っていたまちでも、地元の人が気付いていない、あるいは時代の流れの中で埋もれているだけで、隠れたストーリーやエピソードは必ずあるものです。それを再編集して若い方に情報発信していけば、もっと稼げるポテンシャルがそれぞれの地域にあります。若い方が魅力に感じるビジネスチャンスも、きっとあると思います。

広島の起業家とのコラボを通じて、
広島だからこそできるサービスを発掘中。

Q. ところで地域ブランディングのプロから見た、広島の魅力とはどんなところでしょう?

吉田: まず、海外の人から見ると、「ヒロシマ」というまちが持つメッセージ性はとても特別なものですよね。今はカープのおかげで一時的な盛り上がりをみせておりますが、その他にも稼げるポテンシャルをたくさん秘めた地域だと思います。例えばウサギの島として人気の大久野島や、しまなみサイクリングロードも、海外の方によって認知されはじめたスポットですが、他にもまだまだプログラム化できる、魅力的な地域の資源が眠っています。
実は今、広島のある起業家さんが宮島でインバウンド向けの体験道場をやろうとしていまして、われわれもそのお手伝いをすることになりました。実際にインバウンドが利用する際の導線設計やプロモーション、マーケティングなどをお手伝いしながら、どうすれば海外の方に喜んでもらえるかを一緒に考えています。高付加価値型のプログラム開発をして、ファンが根付いてリピーターが確保できれば、これまでにない収益源を広島県にもたらすことができると考えています。


Q. 最後に、創業して良かったと思いますか?

吉田:間違いなくイエスです。自分たちが介在することで、喜ぶ人、企業、まちがある。これほどうれしいことはありません。また一度しかない人生で、やりたいことでメシを食っているという幸せを24時間365日かみしめています。苦労もあるけど良い仲間にも恵まれ、思っていた以上に面白いことが次々と湧き上がってきます。1年目よりも2年目、2年目よりも3年目といった具合に、年を追うごとに創業して良かったと実感しています。

株式会社地域ブランディング研究所


【創業】2013年3月
【所在地】東京都台東区雷門2-20-3 アクアテルースUⅡ 8F
【ホームページ】https://chibra.co.jp/

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