創業は幸運を招く第一歩。 アパ流、運のつかみ方。
アパホテル株式会社 取締役社長

元谷 芙美子さん

  • PROFILE
  • 福井県出身。高校卒業後、福井信用金庫に入庫。22歳で元谷外志雄氏と出会い、結婚。1971年、外志雄氏と共に信金開発株式会社を創業。1994年、アパホテル株式会社社長に就任してからは、自ら広告塔となり、全国規模のホテルチェーンへと成長させる。現在、アパホテルネットワークが展開するホテル数は全国最大の507棟を誇る。

「私が社長です」のセリフでおなじみの元谷社長。明石家さんま氏の直弟子だと自称するだけあり、バラエティー番組でも引っ張りだこの人気だ。社長のことをよく知らない視聴者の中には、「本当に経営者なのだろうか?」「どうせお飾りの社長だろう」といぶかしく思う人もいるだろう。だが、社長のことをよく知るビジネス界の人々は、誰もがその情熱と経営手腕に舌を巻く。人目を引く衣装と帽子で自ら広告塔となり、ホテルの認知度アップに貢献する姿勢はなかなかまねできるものではない。賛否両論にもめげず、抗議の手紙には宿泊券を添えて返事をするなど、機知に富んだ対応で集客につなげたエピソードは、経営者としての器の大きさを感じさせる。実際、アパホテルは、元谷社長の就任後に大躍進を続け、地方の一ホテルから全国規模へのホテルチェーンへと成長。さらに、現在では海外を含め、507棟のホテルを展開する一大ホテルチェーンにまで成長した。90歳までは現役でがんばると公言する元谷社長。そのパワーあふれる行動力は、創業者が注目すべき資質といえる。

ひろしまの創業のポイント創業のポイント

賛否両論あった大胆な広告戦略。逆風が追い風となり、認知度も向上。

ヒントは他業種にあり。同業者の物まねでは時代を先取りできない。

創業は易く守成は難し。創業は目的ではなく、重要なのは継続。

逆風も時には追い風になる。
風を起こす人こそが、創業者。

Q. 社長がビジネス界に携わる、そもそものきっかけは何だったのですか?

元谷:主人と共に脱サラしたのが創業者としてのスタートですね。結婚した時、私自身は「このままサラリーマンとしてずっと働いていくのだろうな」と思っていましたが、主人の父親が事業を営んでいたこともあり、いずれは独立して事業家になるという夢を主人は抱いていたようです。だから、私もその思いを支えるべく、創業者の片割れとして共に創業に参加しました。夫が脱サラ後に始めた会社は、主に住宅を建築販売する会社でした。当時はみんな家が欲しいけど、高くて買えないという時代でした。そこで主人は、勤務する金融機関で長期住宅ローン制度をつくって独立し、「10万円で家が建つ!」というキャッチフレーズと共に、誰もがマイホームを造ることができる仕組みをつくりました。おかげさまで、2年目には4,000万円を超える利益を出すことができました。今でいうと5〜6倍くらいの金額に相当するかもしれません。
創業に当たって、主人は金融のメカニズムと税務の知識が武器になると考えていたようです。金融機関でサラリーマン時代を過ごしたのも、そうした目算があってのことだと思います。事業を起こすには得意分野を武器として、それを生かした戦略を練ることが必要です。

Q. 創業当初から強みを生かす戦略があったのですね。ご自身がホテルの広告塔となったのも戦略からですか?

元谷:もちろんそうです。ホテルというものはお客さまに認知してもらわないことには始まらない商売です。でも残念ながら、私は容姿に関してはあまり自信がありませんでした。そこでエレガントな帽子をかぶって、「私が社長です」とアピールしたわけです。反応は賛否両論です。中には「公共の福祉に反する」なんて厳しい意見もありました。ですが、それはアパホテルを認識してもらえたということでもあります。批判的な意見もちゃんと受けとめ、おわびのお返事と共に宿泊券を添えてお応えしました。
それともう一つ、私たちには別の狙いがありました。アパでは早い段階からインターネットによる宿泊予約が主流になると予測していました。ホテルの認知度アップはそのためだったのです。来るべきインターネット時代に向けて、私たちがシステムづくりの参考にしたのは航空業界でした。ホテルは稼働率が命です。それは1便1便の席を埋める航空業界も同じことです。大胆な広告戦略と、いち早く取り組んだネット予約システムのおかげで、私どものホテルは並外れた稼働率を誇るホテルチェーンに成長できました。

Q. 広告にしろ、予約システムにしろ、着眼点がユニークですね。その発想はどこから来るのでしょう?

元谷:あえて言うなら、広い世界に目を向け、先見性や独創性を磨いておくことです。同じ業界で他社の後追いをしているようでは、経営者として失格です。物まねではトップに立てないからです。勉強なんてできて当たり前で、経営者にとって本当に必要なのは、教科書で身に付くような賢さではありません。それよりも、時代を捉える嗅覚、センスといったものが重要になります。それがあって初めて戦略を立てられるのではないでしょうか。
さらに言うと瞬発力も必要ですね。皆さんもご存じのように、私はテレビにもちょくちょく出演させていただいていますが、テレビというのは瞬発力がものを言います。例えば、台本のないバラエティー番組は、話題を振られた時にどう切り返すかでタレントさんの存在価値が決まります。これは社長業にも通じるところがあります。経営者たるもの、瞬時に時の利をつかまねばなりません。後になって、ああすればよかった、こうすればよかったと言っても遅いのです。幸運の女神には後ろ髪がないと言われています。後からつかもうとするようでは、運はするりと手の中からこぼれ落ちてしまいます。女神の前髪をつかむ瞬発力が経営者には必要です。

七転八起なんてとんでもない。経営者たるもの、一度でも転んではいけない。

Q. どんな局面でもポジティブな元谷社長ですが、ビジネスで失敗や苦労したことはないのでしょうか?

元谷:ありません(笑)。ピンチはチャンスといいますが、ビジネスの世界では本当にピンチの背後にチャンスが見え隠れしています。だから、ビジネスに失敗や苦労なんてものはありません。よく人生は七転八起なんていいますね。私、あの言葉を聞くととんでもないと思ってしまいます。「経営者たるもの、一度だって転んではいけない」そういう気概で臨むべきだと思いますね。
ただ、失敗や苦労はなかったと思っていますが、日々の仕事の中でトラブルはいろいろと体験しました。皆さんの中にも、記憶にある方がいると思いますが、2007年に起こった耐震強度問題もその一つです。当時、アパホテルが所有する京都市内のホテル2棟が耐震強度を満たしていないということで、大変な騒ぎとなりました。私どもに手落ちはなかったのですが、一部では耐震偽装などと報道され、お客さまの信頼を失いかねない事態になったのです。そこで、私たちは営業を停止して予約をいただきながら宿泊できなくなったお客さまに対しておわびの会見を開き、ことの経緯をお話ししました。
問題の建築士が携わったホテルは速やかに休業し、検証に入ったのですが、世間の動揺はなかなか収まらず、銀行からは借入金の返済を要求されるような事態となり、これから建てる用地の全てを高値で売り切り、借入金の返済に当てました。ドラマでいうなら、絶体絶命のピンチです。でも、実際はその逆になりました。翌年、リーマンショックが起こり、不動産の価値が大暴落しました。土地が値下がりしたということは、私たちにとって大チャンスです。あの時、東京都心を中心に土地を購入し、次々とホテルを建設していきました。それが現在の大躍進につながる結果となっているのです。
ちなみに現在も、私たちはチャンスの真っただ中にいますよ。今は異常とも言えるほどの超低金利時代。創業を志す皆さん、こんな時代に守りに入っては駄目です。投資をするなら、今が絶好の機会でしょう。先ほども言ったように、時の利を素早く、的確に読み取ることが創業者の大切な資質です。

Q. あの時、社長は涙ながらに会見されていました。その後の迅速な対応と合わせて、逆に企業としての誠実さを感じましたが、当時はどのような思いでしたか?

元谷:経営というものは、社会に対して常に誠実であるべきなのです。ただ利益を上げればよいというものではないのです。常に社会の中でどうあるべきかという哲学が必要です。例えば、私たちはホテル業を営む際、常に地域社会を意識しながら、地域に優しい経営を心掛けてきました。昨今ではグローバル化のもと、日本国内にも数多くの外資系企業が参入していますが、利益をそのまま本国に持ち帰るような経営は地域に風穴を開けるようなものです。私たちはそうではないやり方で、地域に貢献できるような経営をしたいと考えています。
結局、そういう誠実さが欠けていると、企業は持続できないですね。お客さまへの誠実さ、地域社会への誠実さがあって初めて企業としての信頼が確立されるのです。よく「創業は易く守成は難し」と言いますが、事業を継続させることこそが創業者の責務です。これから創業される皆さんには、ぜひ長く持続できる事業の在り方を模索してもらいたいと思っています。

創業は自分との戦。戦の後には必ず幸運が待っています。

Q. 元谷社長から見た「広島」の魅力、可能性はどんなところでしょう?

元谷:広島には既に新旧2つのアパホテルがあります。新しい方は、中・四国最大級の727室を誇る新都市型ホテルです。当初は「そんな大きなホテルを建てて大丈夫なの?」という声もありましたが、おかげさまで新しいホテルは97.1%、古い方も94.1%の稼働率を誇っています。
実はこの新しいホテルをオープンする際、ちょっとしたエピソードがありました。それはオバマさんが広島を訪問される前のことでしたが、私の主人が「オバマさんは絶対広島に来る。広島にはこれからインバウンドの受け皿となるホテルが必要だ」と予言していたのです。
驚いたことに予言は真実となり、広島には数多くの外国人観光客が訪れ、当ホテルもフル稼働しています。観光業に携わる者にとって、これほど魅力的な街はありません。私どもからすれば可能性に満ちあふれた場所だと感じています。

Q. 広島も含め、全国で存在感を発揮するアパホテルですが、今後はどのようにイメージしていますか?

元谷:アパホテルに就任当初は、「ニューヨークにアパの本部を建てたい」なんて大風呂敷を広げていました。周囲からは笑われましたが、私としてはそれだけ腹をくくって社長業を引き受けたわけです。ですので、90歳までは現役で、ミニスカートをはいてがんばりたい(笑)。社長である限り、アパの躍進を止めたくはないですね。
とはいっても、自分一人でできることは限られています。グループが成長するのに比例して、アパの経営哲学を体現してくれる仲間も必要になってきます。そこで今後は「教育」という分野にも進出したいと考えています。ホテル経営学で有名なコーネル大学のように、日本発のホテル学が学べるような場所をつくれないかと考えているところです。

Q. それは楽しみですね。では、最後に創業を目指す経営者の卵たちにメッセージを頂けますか。

元谷:日本では大きな会社、名のある会社に入ることが人生の目標になり、そうした方たちがエリートとしてリスペクトされる傾向にあります。でも、海外で本当のエリートとしてリスペクトされているのは、自ら事業を起こした方、創業者の皆さんです。私たちも金沢という一地方都市で創業し、全国規模へのホテルチェーンへと成長を遂げました。広島で創業を目指される皆さんにも、ぜひ「広島発」の夢を描いて、全国に発信してほしいと思っています。
また、創業後は皆さんも一国一城の主として、会社のトップになります。そこで覚えておいてほしいのは、会社はトップで決まるということです。たとえ社員が100匹の羊だったとしても、そこに1頭のライオンがトップとして君臨すれば、社員はみなライオンに変わります。私も社員に自らの背中を見せることで、アパホテルをライオンの集団にしてきたつもりです。経営者を志すからには、そういう気概を持ってがんばっていただきたいですね。
よく勉強会などで創業を志す方とお会いすると、「どうしたら社長のように強運をつかめるのですか?」と質問されます。幸運というものは、あちらから勝手にやってくるものではありません。創業を志すからには、とにかく時の運を見極め、しっかりつかみ取ることが大切です。「運」という字は「しんにょう」に「軍」と書きますね。つまり創業は戦(いくさ)です。では、何と戦っているかというと、それは皆さんご自身です。人と比べてばかりの人生なんてつまらないものです。創業するからにはあなたの好きなこと、得意なことを生かして、自分らしい事業を楽しんでください。私も好きなこと、得意なことを積み重ねて、ホテル業という天職に出会い、運をつかむことができました。皆さんの行く手にも必ず強運が待っているはずです。強い気持ちで臨んでください。

アパグループ


【創業】1971年5月
【所在地】東京都港区赤坂3-2-3 アパグループ赤坂見附本社ビル
【ホームページ】https://www.apa.co.jp/

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