独自の視点で読み解く⑧
「田万里家」
山間を貫く国道2号線沿いに位置し、自然豊かな田園風景が残る竹原市田万里町。西条から竹原方面へと車を走らせると、ひときわ目を引く黒色の建物が現れます。こちらが今回の取材先となる「田万里家」さん。
「田」と大きく書かれたのれんをくぐるとすぐに、カウンターに並ぶ色とりどりのドーナツに目を奪われます。あれこれ品定めしていると、代表の井本さんが「おかえりなさい」と私たちを温かい笑顔で出迎えてくださいました。
本取材では、田万里家で展開するドーナツ事業を始め、それを支える農業への思いやコミュニティ活動についてもお話を伺いました。
農ライファーズ株式会社 代表 井本喜久さん
竹原市出身。東京の大学で農業を学んだ後、広告業界でキャリアを積む。現在は祖父母が暮らしていた竹原市田万里町に移住し、「世界を農でオモシロくする」をテーマに、オンラインコミュニティ「農ライファーズ」やオンラインスクール「コンパクト農ライフ塾」の運営、地域活性化事業「田万里家」のプロデュースを手掛けている。
「農」を中心とした3つの事業
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記者 現在取り組んでいる事業についてまずは教えていただけますか。
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井本さん(以下井本) 3つありまして、1つ目は「コミュニティ事業」です。「農的な暮らしをしたい」方たちに向けたオンラインコミュニティを無料で提供しています。現在2,000名程のメンバーがいて(他に手掛けている方がいらっしゃらないので笑)、これは日本で最大の規模ではないですかね。そこからさらに学びを深めたい人には、「スクール事業」も有料で展開しています。このスクール事業の一番の特徴は、最初に「売り方」を学ぶことにあります!
通常であれば、まずは農作物の作り方から覚えていきますが、ここでは先に商品やブランドづくりといった売り方から、逆算で農業を学ぶスタイルです。2020年から始めてすでに約300名が卒業しました。
オンラインコミュニティ
https://noulifers.com/
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記者 どんな人が受講されているのですか。
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井本 年齢層は30代から50代と幅広いのですが、都市部で生活するビジネスパーソンが多く、全体の6割ほどを占めています。「まだ農業はやっていない」「まだ農村に移住できない」けれど、いつか都市部の暮らしを卒業して、田舎暮らしをしてみたいと思っている方が大半です。残りの4割は、退職して新しい生き方を考えたいと思っている人、もしくは大学生などで、農家の方もいらっしゃいます。
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記者 農家の方も学びに来られるのですね。
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井本 すでに農業はやっているけど、兼業の人が多いですね。さらに学びを深めたり仲間とつながったりして、さまざまなアイデアを取り入れながら、農事業を盤石なものにしたいという思いがあるようです。
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記者 もう1つが「地域活性化事業」ですね。
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井本 限界集落の再生に向けて、米粉ドーナツの販売と農泊体験ができる宿をこの建物でやっています。棚田を再生するために育てたお米から作る米粉ドーナツは、若い人から年配の方まで幅広い世代に人気です。宿では農ライフ(=自然とともにある暮らし)を通じたリトリート(癒やし)を目的にしていて、「宿泊したその日から全員が家族になる」がコンセプトになっています。野菜の収穫体験ができるほか、背後にそびえる山を巡る朝の散歩も人気です。先人たちの残してくれた祠(ほこら)などを訪ねつつ、1時間半ぐらい歩きますけど(笑)
原点はジンジャーシロップと小さな農家
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記者 現在の事業を始めた経緯を教えてください。
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井本 最初は何者になりたいのか自分でもよく分からないまま、走り出したという感じです(笑)。東京農業大学を卒業したのに農業の道には行かず、気が付いたら広告の企画制作に20年以上携わりました。そのうち企業のブランドづくりが面白くなってきて、自分たちでも小さなブランドを立ち上げてみようと、フライドポテトとジンジャーエールの専門店を2012年に創業したんです。ジンジャーシロップも手作りして!
するとシロップだけで年商3,000万円ほどのビジネスにまで成長してしまい……(笑)その時に「手作り」と「販売」の“掛け算”による売り上げの最大化、6次化の面白さに気付きました。農作物から自分たちで商品を作って販売までしていく現在のやり方は、当時の成功体験がきっかけになっています。
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記者 そこから農業に目が向いたのはいつ頃ですか。
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井本 2014年に妻がガンになり、「人はなぜガンになるのか」という探究心が芽生えて、病気や身体のことについて勉強しました。ガンの原因の半分は食事、もう半分はストレスではないかと思い至るのですが、その頃オーガニックで野菜を作っている農家に出会ったんです。彼らは「暮らしと心が豊かであること」を私に教えてくれました。
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記者 農業に関する取り組みはその時からですか。
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井本 すてきな生き方をされている農家のことを世の中にもっと紹介したいと思って。まずはWebマガジンを2017年に立ち上げました。取材で全国の農家の方にお会いするうちに「小さい農家」の魅力に気付いたんです。環境破壊などが進み、持続可能な社会の在り方がさまざまなところで議論されていますが、「価格の決定権を自分たちで持ち、小さくても顔が見える相手とだけ取引する」ことを目指す。小さい農家の生き方は、これからのビジネスを作っていく上でも大きなヒントを持っていると気付きましたね。
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記者 具体的には、どんなところが魅力に映りましたか。
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井本 小さい農家は、ビジネスと生きがいのバランスがイコールになっているんです。ビジネス寄りだけでは心がしんどくなりますが、生きがいだけでは将来が不安です。そのバランスが取れた生き方を小さい農家が実現していました。そこで、彼らの高質な生き方を「コンパクト農ライフ塾」という一つの学問にして、2020年から展開しています。
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記者 それが「スクール事業」ですね。「コミュニティ事業」はどのような経緯でスタートしたのでしょうか。
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井本 「キャンピング ウィズ アス!」から「キャンパス」と名付け、みんなでキャンプを楽しむように学んでいけたら面白いんじゃないか、という思いで始めました。途中からは、もっと直接的に内容が伝わる名前がいいなと思い、農ライフをしたい人たちのコミュニティ=「農ライファーズ」に名称を変更しました。
地域住民やビジネスパーソンとの関わり方
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記者 田万里町で新しい事業を始めるに当たって、地域の方々の反応はいかがでしたか。
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井本 確かに保守的な考え方もまだ残っているとは思います。しかし「何かを変えていきたい」とか、「次世代が希望を持って帰ってきてくれる状態をつくりたい」という願いは、きっとみんな潜在的に持っているはずです。でもほとんどの人はその解決策が分からない。そこへ私たちが、農業を軸とした地域活性化を提案しているつもりです。畑に出て一緒に汗を流す、活性化していく様子を見える化する、現象を起こすために本質を磨く。地域内外からの米粉ドーナツの評判も上々ですし、これからも応援し続けてもらえるように取り組んでいきたいです。人間なので、そうしたがんばりはいつか認めていただけると信じています。
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記者 都会のビジネスパーソンが農業を始めることを、どのように捉えていますか。
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井本 私自身の原体験として、農家とのつながりが生まれたことで本当に意識が変わったんです。田万里町はもちろん、通りすがりに目にする日本各地の農村に対して、なんの可能性も感じていなかったし、見向きすらしていなかった。でも農家の方に出会って話を聞くうちに、農村への興味が湧き、そこにある豊かな価値に気付き、見え方が変わりました。ビジネスパーソンたちも同じだと思っています。テクノロジーは進化したのでしょう。しかしマルチタスクで仕事をこなすことに追われていませんか?
都会の生活になじめずしんどさを抱えて働くよりも、農村で自然に向き合いながら生きる方が豊かだと気付けば、スイッチが入ります。少子高齢化で農業をやめる人が増え、耕作放棄地が増えているのが農村の現状です。ビジネスパーソンが入ってきてくれることが、地域の活性化につながるという期待は大きいと思います。
農的な暮らしの在り方とこれからの展望
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記者 今後、どのようなことに取り組んでいかれますか。
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井本 コミュニティがコミュニティを呼ぶようなコミュニティをつくっていきたいです。そのためには、今あるコミュニティのうねりを大きくし、学びの機会を増やすことが大事です。さらには自分自身でリーダーシップを張れる人材を増やすのも重要な視点です。こんな農村あるよ、と背中を押してみんなを引っ張っていくようなリーダーです。
販売面では、米粉ドーナツをよりたくさんの人たちに食べてもらうため、来年からマルシェやポップアップストアなども進めていきます。「文化をベースに産業をつくる」という信念で、ゆくゆくは全国47都道府県の限界集落にこのビジネスを広めていきたいです。
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記者 田万里町をどんな場所にしたいですか。
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井本 世界から人が訪れる場所にしたいです。農的な暮らしをデザインしていくことが、心や生き方を豊かにするヒントだと信じていますので、それを学びたい人たちが日本全国や世界から来る場所にしていきたいです。例えば、キャンプができる山小屋や多くの人が集うマルシェなど、エンターテイメント的な場所が考えられますが、それだけでなく次世代の持続可能な暮らしを体験できるようにしたいです。そうしたら、何もないこの農村が「全てある」と捉えられるようになります。
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記者 最後にこれから何かを始める方へ、先輩としてのアドバイスをいただけますか。
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井本 農村に限らず全国どこにでも魅力があって、それを引き出せるかどうかは、自分の価値観や心の持ちようだと思います。目の前の景色を「何もない」と捉えるのではなくて、「あるな〜」と見つめ直してみると、素晴らしい世界が広がります。創業する時も「あるな〜」と、自分だけが気付けたものを強みにして伸ばすことがとても大切です。やりたくもないのに、はやっているからという理由でやるのではなく、自分の魂のレベルで「これはいい」「好きだ」と思えるものを商売にしてほしいですね。そういう方向に自分の人生をデザインしていくと、とても面白いです。
私は若いときから、自分の生きていることの意味や価値を考えてきました。そこから導き出したのは「人の心と体を健康にする!
次世代にピース(幸せ)をつくる」という信念です。
面白いと感じるものしかやらないし、理念に沿うものしかやらない。創業当初も「人」と「お金」には苦労しました。当時はオオカミ少年だったと思いますが、理念を掲げ、夢を語ることでそうした課題が徐々に解決されていきました。
三流の都会ではなく、一流の田舎を創造するため、これからも仲間とともにがんばっていきます。
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